オルタナティブな教育選択への道
吉井春人
●医療と学校にみる光と影●
遺伝子療法が発見されたことにより、現代医療は希望に満ちているようです。
札幌で救急救命の業務に従事してきたわたしの弟は、パーキンソン病に罹患しました。
筋肉への重要な神経伝達物質である脳内ドーパミンが充分に機能しなくなるため、思い通りに体が動かせなくなり、やがて全
身麻痺となり
死に至るとされる原因
不明の難病です。これまで対症療法のみで完治に至る治療方法がないとされてきました。
しかし、2018年、京都大学医学部の研究チームによりiPS細胞による治療方法が見いだされ、根治にむけて一筋の光が
みえるようになりました。健康な細
胞を脳内に移植することによってパーキンソン病により著しく衰えた「脳内ドーパミン放出機能」が再生されるかもしれない
のです。
もちろん、これはほんの一例に過ぎません。生殖医療などを筆頭に、技術の進歩は、これまで不治とよばれた数多くの病を根
治するかもしれないという希望を生
み出すようになっています。
ところが、近代医療はこのような光の部分ばかりでなく、闇の部分をあわせもつとされてきました。
フランシス・シェーファーは、「それではいかに生きるべきか」で、エリートが支配する近未来の社会において、遺伝子操作
によって命の選択がおこなわれうる
と指摘しています。(「How Should then we live」chapter12
Manipulation and New Elite)
たとえば、かつてドイツのヒトラー政権の時代において、ユダヤ人撲滅政策の思想的根拠とされたのが優生思想であり、優
れた民族以外は地上に生き残っては
ならないとして、ユダヤ人虐殺がおこなわれたのは歴史の事実です。
そして、医療制度ばかりでなく、学校制度についても、エリートによる命の選別がおこなわれうるのであり、病院や学校
は、社会にたいして「良いことだけを
生み出す」という広く流布している社会通念だけに留まってはならないという警鐘として聴かなければなりません
「脱病院化社会」を著して、病が癒されるべき病院でありながら、病院によって病気が生み出されていると言った社会学者の
イヴァン・イリイチは「脱学校の社
会」も著し、本来は知性が養育され訓練される場とされている学校で、「知性の劣化」が生み出されていると論じたのです。
シェーファーによれば、国家の支配者となったエリートたちは、いつの時代でも新しい独裁者になりうるのでした。彼らは
自分たちが存続することを最優先し
て、優秀な種の保存にむけて医療技術を駆使しようとします。そして、エリートにとって有益な子孫だけが残るように命の選
別をおこなおうとするでしょう。表
舞台から姿を隠した新しい独裁者たちは、その野心を遂げるために、情報操作のために国家規模で洗脳教育をおこない、つい
に自分たちに都合のいい情報だけが
伝わるようにメディアさえも支配するようになるであろうというのです。
「エリートによる選別」は医療の分野ばかりでなく、国家の教育戦略として学校教育にもみられるものでした。
シェーファーやイリイチの指摘を、現代日本のコンテキストにおいて聴くならば、現代文明は光に満ちているばかりでなく、
新しい支配者となったエリートが、
日本の医療制度や学校制度を、国民を支配するための道具として機能させようとしていると見ることができます。過去の日本
において、このような反キリストと
もいえる生命操作および情報操作を活性化するための精神的支柱として国家神道がつくりだされ、そこに「現人神」とされた
天皇による絶対支配がみられまし
た。
2000年秋に国会で国旗・国歌法が制定され、その派生効果として、「国歌と国旗への教職員の態度を一元化しようとする
動きは各地の学校現場にみられまし
た。たとえばわたしの住む日野市の地域小学校で働いていた教職員がキリスト者の良心に従って「君が代」のピアノ伴奏を拒
否。やがて「日野君が代伴奏拒否訴
訟」に発展。教師への処分が不当だとして最高裁まで争われたものの、原告敗訴で結審しました。
日本政府による戦後の教育体制とは一体何であるのかが問われた裁判であり、戦後生まれかわったとされた公教育ですが、
実体は国家が人を支配するための強
固な管理システムの機能が温存されていたことが明るみに出された判例でもありました。
● 信仰と知識の二元論●
「道徳は教会が担当し、一般教科は学校が担当する」というように、学校に子どもをやるキリスト者の親たちは、知識や教
養は信仰と別次元に属すると、二元
化の状態に子どもを晒すことについて不承不承ながらそれを受け入れてきました。無教会主義キリスト者として知られる内村
鑑三も例外ではありませんでした。
(たとえば安曇野緑山美術館に展示されている内村によって主宰された集会の考え方など)。これはなにも内村鑑三が特別
だったというわけではなく、明治以降
から現在に至る大多数の日本人キリスト者は、国家の教育戦略に対して同様の二元論を受け入れさせられてきたのであり、信
仰継承のための戦略をうちたてるこ
とができなくされてきたのです。
日本人キリスト者には、根強い“学校信仰”がみられます。これはとても本質的な課題です。
ある人がどのような学歴をもつのかによって人物評価を決めつけてしまうのは世の常でしょう。それはたとえば使徒ペテロ
の説教について、「無学な人だとき
いて驚いた」という箇所にもみえます。(使徒の働き4章13節)それが世の常だとしても、本来は「キリストの十字架の他
に誇りとすべきものがあってはなら
ない」にもかかわらず、日本において、学歴信仰が濃厚なグループのうちに、キリスト者がいるというのは否定できない事実
なのです。
親の状態がそうだとしたら、たとえ学校教育のなかで、進化論だけではなく、安倍政権のもとで道徳教育として教育勅語を
規範に担ぎ出すとか、愛国の名のも
とに国家主義的な主旨が色濃い学習指導要領が復活するようなことがみられたとしても、子どもたちは何の抵抗もできず無防
備のまま曝されます。
子どもからすると、親や教会で教えられている聖書知識と学校で教えられる一般教科の知識は別次元に属するとして甘んじて
受け入れざるを得ないのであり、
「そのうち成長していく段階で、自分の判断で取捨選択できるようになるだろう」と願う親の期待に応えられたのはごく僅か
でした。たとえ、長年にわたる知識
の二元化に曝されたれた子どもたちであっても、恵みによって信仰のサバイバルを得た子どもたちが少なくないのは承知して
います。けれども、それは全体から
みるとわずかであり、多くは、社会人として世に出るやいなや、それまで得てきた聖書知識からリアリティが根こそぎ失わ
れ、やがて信仰が空洞化し、信仰生活
を「卒業」していったのです。いえ、むしろそのほうが「エリート崇拝」と「信仰と知識を分断する二次元思考」によっても
たらされる必然でした。
このような経過から、残念ながら、日本のキリスト教界は、宣教の実を結ぶことにおいてばかりか、信仰を継承するための最
重要課題である子弟教育においても
概ね現状維持かもしくは敗退の道を辿ってきたのでした。
わたしは「どうして日本人のキリスト者の数が全人口の1パーセントの壁を越えることができないのか」という問いに対し
ての、ひとつの答えがここにあると
考えます。
「教育界はいまや水俣の海のようだ」といった教育者の林竹二氏などの指摘を待つまでもなく、学校教育の根本問題は戦後
まもなく見えていたのではないで
しょうか。
2000年、小渕政権は教育の根本的改革を旗印とした「教育改革国民会議」を立ち上げました。ただし、予想されていたと
はいえ、結局「学校をどうするのか
論」に終始していたのであり、それは残念なことにキリスト教界も例外ではなく、教会にとって最も重要な信仰継承の課題に
ついてどれだけ議論されたとして
も、常に学校教育の枠組みから抜け出せないままだったのです。
とりもなおさず、それは日本人キリスト者が国家の教育戦略に易々と屈してきたからにほかなりません。もしキリストの名
を掲げながら、世間の顔色を伺うば
かりだとしたら、どうして今の世に対して「地の塩」たりえるのでしょうか。塩気を失った塩は、捨てられるのみです。(ル
カ14章34・35節)
●教育の「バビロン捕囚」●
けれども、キリスト者が信仰の継承において苦戦を強いられてきた背景には、日本独自のルーツがあります。
江戸幕府は幕藩体制維持の重要な要(かなめ)として、思想統制を位置づけていました。それが和魂洋才と呼ばれる情報操作
としての取捨選択なのであり、幕府
は、オランダを中心とした西欧の哲学やキリスト教関連情報を「虚学」として軽視し排撃する一方で、兵学として役に立つと
みなされる医学や工学などの分野に
は「実学」という名を与えて歓迎します。この考え方は、いわゆる富国強兵政策として「明治政府」に引き継がれました。
それゆえに、日本で近代的な学校教育の主なる目的は、その頃は優れた帝国軍人の育成にあったのであり、その考え方は、
現行憲法下の教育統制においてさえ
も、「愛国心の育成」という政策課題を学校教育が担ったという意味で、戦前戦中の体質がしぶとく残されたのでした。
戦前戦中において、キリスト教界は、このような国家の教育政策に抵抗するどころか、主イエスからではなくこの世から褒め
てもらう道を優先しました。「世か
ら評価を受けるための模範」となり、「人からも神からも褒めてもらいたい」と願ったのです。主が「神と富とに兼ね仕える
ことはできない」と語っておられる
にもかかわらず。
それゆえ、キリスト教会においてさえ、戦前戦中は「帝国軍人」が理想の人間像とみなされ、皇国のため戦地に赴くか、さ
もなければ「銃後の祈り」をもって
役割を果たそうとさえしたのであり、戦後は、優秀な社会人や官僚を育成するための機関となったのでした。天皇の絶対的統
治から、やがて主権在民の治政に変
わっても、国策に順応したエリート崇拝を積極的に取り入れたことで、社会からの尊敬を得ようとしてきたのではないでしょ
うか。
日本のキリスト教界は、キリスト信仰と共に、こと教育に関しては学歴尊重などの世の価値観をむしろ戦略的に受け入れて
きました。そのため、多くのキリス
ト者の子どもたちは、世俗的な学校信仰及び学歴信仰の堅い殻の中に幽閉され、信仰の群れから離れていったのでした。ゆえ
に、こと信仰継承の課題において
は、キリスト教界に打開策がみえず、今も閉塞状態におかれたままであるといえます。
● 教育を親のもとに取り戻すための改革運動●
米国のホームスクーラーは、およそ250万人と決して少ないとはいえませんが、数だけからいうと全米の就学児童数の1
パーセントに届くか届かないかであ
り、ホームスクーリングが盛んとされている米国でさえ大多数は地域の学校に通っています。まして日本においては全体から
みると数にさえ入らないかもしれま
せん。ところが、米国においても日本においても、全ホームスクーラーの80パーセント以上が保守的なキリスト者家族で占
められているという事実は一考に値
します。
すなわち、ホームスクーリング運動が単に学校制度に対抗しているのではなく、聖書の原点に返って家庭の教育力を再構築す
る運動とみられるのです。それゆ
え、ウエストミンンスター神学校のクラウニー教授によれば「教育の革命運動」なのでした。世界に広がるホームスクーリン
グ運動は、キリスト者にとっては現
代の宗教改革運動なのであり、家庭と教育を聖書的に刷新することをめざしているのであり、はじめから、国家の教育システ
ムに幽閉された教育環境から子ども
たちを解放するという側面ばかりでなく、家庭の教育力を聖書的に改革し回復することにねらいがおかれていました。
欧米でも国民の意識が学校信仰で縛られる以前には、子どもたちの多くは基本的には学校以外の家庭をベースに、多くは職
場で育ってきたのだという事実を見
過ごしにしてはなりません。
18世紀、英国にはじまった近代産業革命は、大量生産による重労働の職場を産みだし、10代の子どもたちさえも労働力
として駆り出されるようになりまし
た。英国のキリスト教会は、人権を蹂躙された子どもたちを保護するために日曜学校活動を始めたのですが、その動きと連動
するように近代国家も学校教育制度
を整備し始めました。これがやがてすべての子どもたちの幼少年期を公教育システムが引き受ける原型となったとされていま
す。軍事国家の台頭により、教育戦
略が徹底するにつれて国家のための人材、とりわけ軍人を効率よく育成するためのシステムとして巨大化してきたのであり、
その意味で学校教育は比較的新しい
近代の現象なのです。
むしろ、学校教育が台頭する以前は、教育に少しでも自覚のある家庭なら、自宅教育をおこない、それはかつてごく普通
に、どこででもおこなわれてきた古典
的な教育方法でした。日本でも、明治憲法下においては、義務教育とは学校に行かせるだけではなかったのであり、憲政初期
の教育令(1879年)では「学校
ニ入ラズト雖モ別ニ普通教育ヲ受クルノ途アルモノハ就学ト做スヘシ」とあり、さらには小学校令(1890年)22条では
「市町村長ノ許可ヲ受クヘシ」と条
件つきながら、家庭における義務教育が公認されていました。ところが、皇民化政策と、戦争のための国民総動員体制が確立
し、やがて国民皆兵のかけ声と共に
「国民学校令」(1941年)の公布をみるに及んで、学校就学は、当時植民地とされたアジア近隣諸国をも巻き込みつつ、
納税や兵役と並ぶ国民の義務とされ
たのでした。
● オルタナティブな教育手段の一つとして●
米国でキリスト者を中心に、ホームスクーリング運動が広がってきた背景には、銃乱射事件に象徴されるように目を覆うば
かりの学校の退廃があったことが指
摘されています。(Chris J Klicka The Right Choice
Home
Schooling NPA 1992)
それでも、ホームスクーリング運動を「学校に反対する運動」とみなすのは一面的です。既存の学校教育は子どもの成長す
る時間のほとんどすべてを支配する
ようになってきたため、国家による教育の一元化によって、受験競争などさまざまな弊害を生みだしました。ひとまずは、選
択の余地のない硬直した学校制度に
子どもをあわせるのではなく、各家庭にあわせ、いえ、さらに徹底して「子どもひとりひとりにあわせた教育手段を選ぶ」と
親が判断するだけで、学校に行くこ
とを拒否した子どもたちにも問題解決の糸口が開かれてきたのではなかったのでしょうか。
最も大切なのは、聖書に基づいて教育の主導権を親に戻すというところであり、学校に行かせるか行かないかではありませ
ん。
1948年、国連によって公布された世界人権宣言には、次のような条文がみえます。
第26条の3 親は、子どもの教育の種類を選択する優先的権利を有する
親には子どもに教育を与える義務がありますが、本来は、それを受けた上で、国による統制によって守られている公教育ばか
りでなく、親が聖書教育を教育理念
として選択し、どの教育機関を選ぶのかを含めて、子どもに一番ふさわしい手段を選択できるような社会システムが整えられ
るべきなのです。
それゆえに、繰りかえしますが、ホームスクーリングを「子どもを学校にやらない教育である」とみるのは表面的です。
共産主義国家においては、国家を批判することが許されないため、自ずと多様性が認めない社会になります。それゆえにある
国が民主的な国であるかどうかを知
るための、ひとつの判断基準は、「多様性を認めるオルタナティブな教育にたいして開かれているのかどうか」にあると考え
ます。
いえ、子どもの育ち方として学校教育も大切な選択肢の一つとされるべきに違いありません。ただし、そこに英国のようにオ
ルタナティブな選択可能領域がある
のかどうかが問われているのです。
2018年11月23日